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講師のブログ・Q&A

  • 男性の講師です
    大阪府吹田市
    19歳
    大阪大学 文学部人文学科

ハンドルネーム:ゆうたさんのブログ

私の現役時代の失敗(不合格体験記)

私は現役時代、東京大学を志望し学習を進めていました。現役時代にやっていて良かったと思うことは、「インプットした知識・技能をなんらかの方法でアウトプットすることで定着する」という意識を持って学習していたことです。学習方法論でよく語られることですが、学習内容は「人に教えられる・語れる」ようになって初めて最も定着した状態になります。日々の問題演習を通して、選択問題ならば「なぜア(正答をアとする)が正解で、ウ(自分の選んだ誤答)が間違えなのか」を、論述問題では「なぜa(必要な要素の1つをaとする)は必要で、不必要とされた要素は要らないのか」「足りない要素はどのような解答根拠を以って必須条件であるのか」を、教科を問わず丁寧に言葉にして分析していました。特に現代文や日本史の論述問題では個別指導を通しその分析が適切か、抜けがないかを確認していました。自己解答分析は自分のクセ・傾向を把握するのにも有効です。自分は書きたいことを論述で書いてしまう傾向があり、気づいていたら設問条件から逸脱してしまうという癖がありました。(設問要求・条件を常に意識するという姿勢は受験生として必須です)こうした学習姿勢は浪人期間中も貫き、思考力に加え、答案作成力や表現力を向上させるのに大きく役に立ちました。しかし東大(文科)受験生には文系生にも容赦無く高度な数学的思考能力の有無を試す数学の試験や、2次試験で地理歴史から2科目を課すという高い質・量を伴う学習が要求されます。共通テストも5教科7科目で高得点を取る必要があり、使える時間が限られる現役生にとって当然のことながら非常に厳しい受験といえます。学校で用意されていない科目(当時は地理が文系生は選択できませんでした)を含めて、すべての科目を合格水準に引き上げることで精一杯になり、私は精神的・体力的にも限界に近い状態で3年生の大部分を過ごしたことを覚えています。しかしこの科目数を難なくこなし、受験学年で2次試験の論述・答案作成力を向上させ余裕をもって合格する進学校の生徒も多くいることは事実です。私がそれを成し遂げられなかった理由は「定期試験型」の勉強からの脱却に出遅れたことが挙げられると思います。「定期試験型」の学習とは目先の試験(多くの場合は学校で実施される中間考査・期末考査)で高得点を取ることを短期目標にし、試験が終わるとその分野から一定期間離れてしまうことで忘却してしまうという弊害をもった学習方法です。私も含め私の高校では定期試験を頑張るという風潮があり、試験前になると自習室で熱心に勉学に励む生徒が多く見られます。しかし定期試験のあとにその分野に触れないと1度定着したはずのその内容を忘れてしまうということは言うまでもありません。私は3年生にもなると主要科目(2次試験・私大科目)ではそのようなことがなくなっていましたが(予備校の授業の予習・復習により受験を見据えた学習が可能になっていました)、一方、センター試験(現役時は最後のセンター試験の実施年)のみの科目の勉強には手が回っていませんでした。結局最後までそのような科目の「定期試験型」の学習から抜け出せずに、センター試験直前期に詰め込みに追われ、かつセンター試験特有の数学のマーク型試験の点数が伸び悩み、精神的余裕はほぼ皆無に等しくなっていました。またその時期に得意科目であった英語・日本史にはほとんど触れることもできず、2月の私大・国立2次試験で思うような英語力の発揮・日本史の知識のアウトプットができておりませんでした。定期試験は学校で習ったことの定着を図る上で重要な試験であることは間違いがありませんが、受験勉強の中では「脇役」でしかありません。「目先の試験」「模試」にスポットライトを集中投射して学習する姿勢を改めるということを最後までしきれなかったことが私の現役時の失敗の要因の1つであったと言えます。